
荻窪とロシア
ロシアのウクライナ侵攻が始まって、今日で一週間、ロシア国内でも反戦の声が上がっていますが、プーチン大統領は聞く耳をもちません。この「町会便り」がみなさまのもとに届くころ、事態がどのようになっているか、想像もできないのが現状です。
ところで、私たちにとって馴染みがあるといえないウクライナですが、こんな解説が新聞に載っていました。「近代日本が向き合ってきた極東ロシアに住むロシア人のほぼ半数はウクライナ系です。それは3回にわたって集団移住させられたからで中には日本にやってきた人も多く、横綱大鵬の父親もウクライナ人です」。ロシアの支配下にあったウクライナと日本の関係は意外に近かったようです。
では、ウクライナを交えた日本とロシアをめぐる歴史は、どのように私たちの「地域の記憶」に刻まれているのでしょうか、おさらいしてみました。
◆正教会
ロシアでも、ウクライナでも、国民の信仰を集めるの東方正教会の教会が荻窪にもあることをご存じですか。神明通り山手ハリスト正教会(写真)です。四谷から現在地に越して来たのは戦後のことですが、その創立は、山手ハリスト正教会(東京復活大聖堂)より古い明治7年にさかのぼります。
◆日露戦争と退役軍人
荻窪には、大正時代の軍縮で退役した軍人が多く居を構えました。彼らの多くは日露戦争に従事した経験があり、お孫さんたちのなかには、そのときに負った傷跡を見せられたと語る方もいました。
◆プロコフィエフと大田黒元雄
ウクライナが生んだ、20世紀の大作曲家の一人、プロコフィエフ。その作品を日本に紹介したのは、音楽評論家の草分け、大田黒元雄でした。1918年に、プロコフィエフが来日したときは、自宅に招き、芸者遊びも伝授しました。
◆日露交歓管弦楽大演奏会
近衛文麿の弟で、「日本のオーケストラのパイオニア」と呼ばれた近衛秀麿は、大正14年(1925)には、自ら指揮し、「日露交歓管弦楽大演奏会」を成功させました。オーケストラに参加したハルピン在住の楽士の多くはウクライナ系だたっと思われます。
◆シベリア抑留
ソ連によって、戦後に抑留された日本人は約57万にのぼり、過酷な労働により5万8千人がなくなっていますが、近衛文麿の長男・文隆も、その一人でした。
文化厚生部 松井和男