かつての荻窪を描いた一枚の図面──

昭和29年(1954年)に作成された「火災保険図」が、今、私たちに語りかけてくるものがあります。

図面には、当時の荻窪南口周辺の建物が克明に記され、戦後復興の息吹と、商いのにぎわいが息づいています。都電杉並線がまだ走っていた荻窪駅前には、今も多くの方の記憶に残る懐かしい名前が並んでいます。

たとえば──
「三菱銀行」や「荻窪駅前郵便局」、行列のできた「つけ麺の丸長」、映画の思い出が詰まった「荻窪シネマ」、電話の未来を担った「荻窪電話局」。
老舗そば店「小松庵」、質屋の「上州屋」、やさしい先生がいた「秋山歯科医院」、薪や炭を扱っていた「栃木屋燃料店」……。
泊まったことがある、見たことがあるという方もいる「西郊ロッヂィング」、音楽と踊りの拠点「執行バレースタジオ」、また「パンの木村屋」の香ばしい匂いを覚えている方もいらっしゃるでしょう。

この火災保険図をもとに、皆さまの「荻窪の記憶」を募集します。

「この店にはよく通っていた」「ここで働いていた」「ここの店に食べに行った」
「都電に乗って学校に通った」「荻窪シネマで映画を観た日のこと」「荻窪シネマの跡のローラースケート場で遊んだ」──

ひとつひとつの思い出が、まちの歴史を織り成してゆきます。
短い文章でも、断片的な記憶でも結構です。ぜひ、皆さまの言葉で当時の荻窪を伝えてください。

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過去の記憶の記事はこちらです

荻窪南口駅前通りと都電杉並線(都電14系統)

昭和モダン 荻窪郵便局電話事務室

旧中田家長屋門と明治天皇荻窪御小休所の石碑

荻窪ラーメンの老舗「つけめんの丸長」が閉店しました。


国登録有形文化財 西郊ロッヂング・旅館西郊

「総集版・荻窪の記憶」について


未来へ伝えるために、過去を語りましょう。
皆さまの「荻窪の記憶」を、心よりお待ちしております。