成田みちと春日みちー荻窪の古道ー

  今回の話題は荻窪の古道、成田みちと春日みちです。今回の話は郷土史家の都築勝三郎さん(川南在住)が書き残した古い地図と会話を収めたテープに基づいています。

 江戸時代から大正の頃まで、下荻窪村の中央を南北に高井戸道が貫いていました。現在のバス通りとほぼ重なります。

 この高井戸道から分岐して成宗村、田端村方面へ向かう道を成田みちと呼んでいました。下荻窪村の人が田端田んぼ方面へ向かう主要道路で、区画整理後もおおよその道筋が残されています。分岐点から東に向かうと屈曲した畑中の道が続き、やがて道は下って天水田んぼと呼ばれた低湿地を横切り、崖にぶつかります。左は成宗村、右は田端本村へ向かいます。この分岐点たもとに宝暦6年(1756)銘のある馬頭観音像が祀られています。馬頭観音は馬の冥福を祈る仏様で古道の脇に多く祀られ、往時の頻繁な往来を物語っています。

 次に春日みちです。現在の環8荻窪2丁目交差点が分岐点で、この交差点の北西側の角に向かって春日屋という文具屋さんがありました。この春日みちについて都築勝三郎さんは「川南の方の道は、農家を一軒一軒立ち寄って行くように曲りくねっていた。あいやの辺りを曲がり、□□を右に曲がってまた庚申様を右に曲がって春日神社に出た」と話しています。「あいや(藍屋)」はこの辺りの農家の屋号、庚申塔は延宝4年(1676)銘のある笠付き庚申塔で現存しています。この碑に10人の名が彫られていることから、江戸時代にこの辺りに10戸の戸数の集落があったことがわかります。

 荻窪は区画整理でも大きな改変を受けることがなく、旧道の跡を辿ることができるのが興味深いところです。(新倉毅 荻窪4丁目在住)