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白山神社に奉納された箸は荻(おぎ)か萩(はぎ)か

下荻窪村の鎮守様である白山神社は歯痛がなおる神様として村人から尊敬され、お参りして歯痛が治った人々は、お礼に箸を奉納する習わしがありました。さて、この箸は 荻(おぎ)か、萩(はぎ)か、意見が分かれます。

 まず荻説の代表は郷土史家の森泰樹さんが「杉並風土記」の中で述べている説です。その根拠は「汝、我が社前に生える荻を以って箸を作り、食事をなせば歯痛忽ち癒えん。夢々疑うことなかれ」という神社に伝わる由緒です。確かに白山神社は四面道から続く細長い低湿地の脇にあり、神社の前に水路跡が残り、以前は稲作が行われていました。向かい側には荻窪の地名由来の寺、光明院もあります。当然畦道には水潤地を好む荻が繁茂し、いくらでも入手可能だったでしょう。神社の立地を考えると辻褄のあった説です。

 一方、萩説の代表は杉並区教育委員会です。鳥居横に掲げられた文化財案内表示板には先の由来の「荻」を「萩」に置き換えて紹介した後、「明治42年(1909年)の古記録に、神社に供えられた萩の箸が山となっている様子が記されている」とあり、古い文献に「萩」と明記されていることを根拠としています。古い文献とは、氏子の家に伝わった書類の控え(明治の頃、白山神社が役所に提出した神社の由緒書の控え)だそうです。

 このように両説ともそれぞれ根拠があり、どちらの説を取るか、判じ難いものがあります。萩説の弱点は、白山神社の境内に荻が生えていたという点です。萩は日当たりの良い乾燥地を好みますからこの点、神社の周辺環境と合いません。

 社殿改築のとき長押から発見された大量の「荻」もしくは「萩」の箸は全てお浄めをして新社殿敷地に埋めたとのことです。見ていた人は「白い木だった」としか記憶していません。一本でも残っていれば明確な証拠となったのに、惜しいことをしました。(新倉毅 荻窪4丁目在住)