松井文化厚生部長松井文化厚生部長

コロナ禍で久しく中断していたリクリエーションを再開しました。これまでも、もっぱら「東京再発見の小さな旅」をテーマにまち歩きを行なってきましだが、今回はNHKの朝ドラ「虎に翼」の舞台にもなったお茶の水界隈を、荻窪とのつながりも探りつつ歩くことにしました。

集合場所 荻窪駅南口 地下鉄改札前に集合してJR中央線で一路お茶の水を目指しました。

お茶の水の駅を出て、神田川にかかる聖橋へ。「聖橋」の名は湯島聖堂とニコライ堂、二つの聖堂をつなぐことから生れました。モダンなデザインの橋は関東大震災後に造られた復興橋の一つで、設計者の山田守は、昭和7年完成の荻窪郵便電話局も設計しています。

松井文化厚生部長松井文化厚生部長

平成30年1月号「昭和モダン 荻窪郵便局電話事務室」で案内してます

聖橋は、中央線、総武線、丸ノ内線の電車が同時に撮れる撮影スポットとしても知られています。

湯島聖堂は、儒学を広めるため、第五代将軍綱吉よって建てられた孔子廟。1797年、幕府直轄の昌平坂学問所となり、日本の近代教育発祥の地といわれています。現在の廟は、震災後、荻外荘も設計した伊東忠太の設計で再建されたものです。

ニコライ堂(東京復活大聖堂)。日本正教会(ロシア正教)の首座主教大聖堂。イエスの復活大聖堂。実施設計はコンドルで、1891年の竣工。かつては、塔の上から東京が一望できました。

駅の近くにある「お茶の水」の名の由来を伝える碑。

文化学院 1921年に生れた、国の学校令に寄らない自由で独創的な学校。個性を尊重し、感性ゆたかな人間を育てる男女平等教育を実施、日本ではじめて共学を実現した。

荻窪と縁の深い与謝野鉄幹・晶子夫妻は創立メンバーで、石井柏亭、佐藤春夫、菊池寛など一流の作家、芸術家とともに教壇に立った。最初の校舎は、創立者の西村伊作が自ら設計しているが、荻窪の与謝野夫妻の家も西村の設計だった。

お茶の水のある駿河台は武蔵野台地の外れに当ります。そのため、台地が海に浸食されて急な崖ができました。この男坂、女坂も、その崖に江戸時代に造られた坂道の名残りです。

池波正太郎、伊集院静、山口瞳など多くの作家に愛された「山の上ホテル」。しかし、おなじみのヴォーリス設計のアールデコの建物が造られたのは、女性のための生活改善運動の拠点としてでした。

明治20年創業の文房堂。輸入文具からはじまり、プロ用の油絵具を製造。大正11年に造られた塔のあるアールデコの社屋は、神田すずらん通りのシンボル。

神保町の古本屋街。

昼食

建て替えの決まった学士会館と「日本野球発祥の地」の碑