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樹齢100年を超える松林
つい最近も二本の桜の木が伐られるなど、年々、なじみのある大木が姿を消していくのは寂しいことですが、それでもわが町会の景観にとって樹木は大きな役割を果たしています。なかでも荻外荘周辺の松林は、都内でもほかに例にない景観を作り出しています。
いったい、その林をつくるアカマツやクロマツの樹齢は、どのくらいと思いますか。ヒントを与えてくれる記事が昭和8年1月31日の東京朝日新聞に載っています。のちに荻外荘と呼ばれる邸宅を建てた医学博士・入澤達吉の夫人常子の回想です。入澤が別荘地として約2万坪の土地を荻窪に買ったのは明治40年のこと。常子はこう語っています。
「その頃こ々は一面の畑で、南下がりの小高いをか(丘)になって居り、樹木はほとんどなかったです。(子供たちが畑や小川で遊んでいる間に)私はあちこち自然に生えている実生の松や檜(ひのき)を抜いて来てはこのをかに植えて置いたものです。それがどうでせう・・・・今ではご覧の通り立派な松林・檜林になって居ます」
当時、常子は一家が住んでいた下町がごみごみしていたため、毎週末、子供たちの健康のため、空気も日当たりもいい荻窪に遠足にきていたのです。常子が荻窪に通ったのは明治の終わりから大正の初めにかけてのことと考えられますから、マツの樹齢はゆうに100年を超えていることになります。
音楽評論家の大田黒元雄も、昭和8年、荻窪に居を移すにあたり、「松の樹陰に新築中の書斎が出来あがった時、私は自分の著作上の荻窪時代が開始したと思ってゐる」と書いています。マツが荻窪の象徴だったことがよくわかります。樹齢100年を超すマツの大木たち、これからも守っていきたいものです。
文化厚生部 松井和男