荻窪東町会便り平成29年8月号(地域の記憶)を発行しました。

内容は、文化厚生部より「荻窪南口駅前通りと都電杉並線」についてです。
(総務部)


南口駅前通りと都電杉並線

無電柱化の工事が完了した南口の駅前通り。みなさんは、この通りに荻窪と新宿を結ぶ都電杉並線の終点があったことをご存じでしょうか。昭和20年代に取ったと思われる写真が残っています。木造らしい電車、電柱には「荻窪」の駅名と「お買い物は伊勢丹」の広告、中央線の線路と踏切も見えます。場所は、現在のNTTの月極駐車場の前あたりでしょう。

ルーツは乗合馬車

青梅街道を走る都電杉並線のルーツは、明治2年開業の新宿と田無を結ぶ乗り合い馬車にまでさかのぼります。明治30年には最初の路面電車が計画され、蒸気機関車のよる試運転も行われましたが実現に至りませんでした。苦心の末、それを実現したのは西武軌道会社で大正10年、淀橋~荻窪幹6キロの営業開始に漕ぎつけます。(関東大震災後、淀橋~新宿間1.3キロ開通)。当時の青梅街道は道幅が狭かったため、軌道は1,067ミリの狭軌で単線。上り下りのすれ違いは駅で行っていました。その後、青梅街道が拡張されると複線になり、昭和17年には東京市に買収され、東京市電が運営を受託。昭和26年に正式に都電になりました。

ドル箱から廃線第一号

戦後、沿線の人口が急増すると、杉並線の乗客は1日4万人を超え、都電全線の平均収入の3倍を稼ぐドル箱になりました。昭和31年1月には、級数で壊された天沼陸橋の復旧工事が完了したため終点を北口に移しています。しかし、その繁栄も長くは続かず、昭和37年、地下鉄丸ノ内線が開通すると利用客は激減、昭和37年、都電最初の廃止線になりました。写真は、別れを惜しむ人々です。