荻外荘と荻窪会談

2024年10月の完成を目指し、荻外荘の復元整備工事がはじまりました。この工事で蘇る歴史の舞台に「荻窪会談」が開かれた応接間があります。昭和15年7月19日に行われた会談は、東条英機(陸相候補)、吉田善吾(海相候補)、松岡洋右(外相候補)、近衛文麿によって、第二次近衛内閣の基本方針が話合われました。それが、日独伊三国同盟の締結につながり、日本は対米英戦争への道をたどりはじめます。

■四人会談『極秘の扉』何を聴いた卓上の百合(東京朝日新聞 昭和15年7月20日)

「…長い廊下を伝つて、前庭に面した南向きの階下応接間へ、会談の行われる部屋である。十畳あまりの洋間、紺のテーブルクロスを掛けた大きな円卓を中心に四つの椅子。卓上に飾つたカーネーションと白百合の他には大きな剥製の海老と蟹が置いてあるばかりで簡素な装飾。近衛公は紺の帷子に同じく紺の絽の袴、白足袋をはいた瀟洒な姿で先程からこの部屋で待ち受けていた」…会談の行われた応接間は比較的シンプルなつくりだったようです。

暑いところ御苦労様 荻外荘六日間の”援軍”(同 昭和15年7月23日)

「近衛さんが十六日夜荻外荘に入るや”スハ”とばかり正門、裏門さては一町先十字路まで張られた警戒陣、所轄杉並署の警官二十数名、これに隣接の荻窪、中野はじめ市内各所の応援警官ら約七十名が繰り出した。(…)これ以上出したら各交番の仕事にも差支えるという程の出動だった」…当時のものものしい警備ぶりがうかがわれます。

文化厚生部 松井和男